イーヴォ・ポゴレリチ  ( ピアニスト)旧ユーゴスラヴィア

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 イーヴォ・ポゴレリチ  ( ピアニスト)

1958年、10月20日旧ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国の首都ベオグラードにて、クロアチア人の父イヴァンとセルビア人の母ダリンカの間に生まれる父イヴァン・ポゴレリチはコントラバス奏者・指揮者

チャイコフスキー記念モスクワ音楽院

生来の反骨精神から伝統に敢えて刃向かう演奏に傾倒し、教師たちとたびたび衝突、3度にわたって音楽院を退学処分寸前になる。派手な服装や目立つ言動のため、西側寄りの要注意学生として音楽院側から再三、忠告・指導を受ける。

グルジア人ピアニストで著名な学者でもあったケゼラーゼから個人的にピアノの指導を受け始める。最初に取り組んだ曲はベートーヴェンのソナタ。ケゼラーゼとの出会いは、ポゴレリチの演奏家人生に大きな影響を与えた。



コンクールのヒーロー
第14回モントリオール国際音楽コンクールピアノ部門第一位

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https://www.youtube.com/watch?v=yH3sgf6Lt3M&t=59s




これまでのショパン解釈からは到底考えられない彼の演奏は奇抜すぎるとする他審査員に対し、審査員の一人マルタ・アルゲリッチが「彼こそ天才よ」といい、その場から立ち去り抗議。審査員を辞任する騒ぎとなった。
この一連の出来事は「ポゴレリチ事件」と呼ばれるようになり、ショパン国際ピアノコンクールの歴史を語る上で避けられない出来事となった
▲ポゴレリチ本人は、この事件は自身の音楽的解釈ではなく、審査員同士の政治的要因によって引き起こされたと語っている
]コンクール後はドイツ・グラモフォンと契約、ショパンやラヴェルなどアルバムを多数リリースした。同年、アリザ・ケゼラーゼと結婚。その時彼は19歳。 アリスは33歳で、彼女には学者の夫との家庭があり、8歳の息子がいたのです。アリスはポゴレリチにとって 彼を芸術の源に導くことのできる優れた教師であり ミューズであり 母親であり つまりはすべてを持った女性でした。


▲1996年2月16日、妻のアリザ・ケゼラーゼが肝癌により死去。そのショックを受け、多くのリサイタルがキャンセルになる

▲批評家は、彼のスターダムは、彼の才能ではなく、「彼の奇抜さに基づいたポップスタイルの宣伝のおかげ」であると述べた

ニューヨーク・タイムズの批評家ハロルド・C・ショーンバーグは、ベートーヴェンのソナタ作品111の演奏速度が異常に遅いとしてポゴレリチを批判し、さらに「ポゴレリチはロマン派ピアノ界のグレン・グールドになろうと必死になっているようだが、グールドの奇抜さは持っていても、彼のような才能はない」と評した[


△20年後、別のニューヨークタイムズの評論家であるアンソニートマジーニが、同じ作品のパフォーマンスを評して次のように書いた。「悲劇的に迷走するとてつもない才能。いったい何が悪かったのだろう?」

演奏するたびにその毒々しいまでの個性で賛否両論を巻き起こす、鬼才ポゴレリッチ。周囲に媚びることなく自身のアートを追求してきたポゴレリッチの表現の個性は、21世紀に入ってさらに濃度を増しています。


イギリスの古典的なピアニスト、ピーター・ドノホーは、ポゴレリチのキャリアを通じて批評家からの一連の「屈辱的な攻撃」に言及した。 批評家は、彼のスターダムは、彼の才能ではなく、「彼の奇抜さに基づいたポッげ」であると述べた


▲非常に遅いテンポや極端な強弱の対比など、自由奔放な演奏は常に議論の的となってきたが、一貫して追求してきたのは、「ピアノとの関係性」だという。「タッチ、ピアノから戻ってくる音、ハーモニー、間合い、旋律とそのほかの部分との関係、そこから自分が何を感じ取るのか……そういったものをどんどん発展させてきました」
▲極端に遅いテンポ、破壊的なフォルテシモ、奇怪なフレージングなど、ポゴレリッチの演奏は決して万人に受け入れられる「快い」ものではない。しかし、誰にも似ていない超然とした演奏には、言葉では語るのが難しい巨大な魅力がある

▲シューマンの交響的練習曲は、無条件の愛といえども、ポゴレリッチの驚くべき(ちょっとやり過ぎ)強烈な打鍵に圧倒された時代があったのでちょっと心配したがシベリウスの悲しきワルツは、奈良のお寺でのNHK収録の時は骸骨と踊っているようなワルツだと思ったけど、今日のワルツはその時よりもさらに、ずっとずっと悲しい。本当に悲しい。こんなに悲しい音楽は、それだけの悲しさを体験した人でないとできないのかと思いながら聴いていたけど、その宇宙レベルの悲しさと絶対的な美があいまって、その響きの美しさとともに、生涯忘れられないであろう演奏となった。

▲ポゴレリッチの音楽は万人受けする音楽ではないので、今日の演奏を受け入れられなかった人もいると思う。でも音楽ってそんなものだと思う。

。モーツァルトのソナタで、9歳から12歳くらいの子どもが普通弾くような、と思われている曲ですが、そこから音楽を生み出すのがいかに難しいかと言った人がいます。それは本当です。簡単な音楽というのはありません。易しいように見えても、易しい音楽というのはないんです

▲楽譜として残された楽曲を扱うとき、わたしたちはそれを演奏するたびに再創造します。楽曲に命を与えるためです。それをするために、そして聴衆が音楽の意味を手にするために、わたしたちは自らを重要だと考えます。

▲ピアノを弾くことは楽しいでしょうか?

楽しくはありません。とても厳しい仕事です、楽しみからはほど遠いですね。音楽を生むのがさも楽しいように言うのは、イギリスの思想です。楽しくはないです。芸術の一種ですね。

▲デビュー盤『ショパン・リサイタル』には、22歳のポゴレリッチの見事な反骨精神と孤高の美学が溢れ出していて、今聞いても少しも色あせたところがない。強烈な「個」を打ち出した音楽性は、逆にこの人の月並みならぬ「客観」を映し出しているとも言えます


チャーミングなところが微塵もないピアノ。

こんなピアノ誰も弾けません。

まさに「世界でただひとりのピアニスト」です


ペダル使いが明らかに少なく、挑戦的で、硬い音質と緊密なテンポが斬新なショパン。
 こんな弾き方があるのか、後にも先にもこんな『葬送』はポゴレリチ以外には聴けないのではないかと衝撃を受けた演奏でした。


ポゴレリチの演奏を聴いて思うことは、「本当にショパンが伝えたかったことはこういうことだよな」ということ。