Mさんへ バッハマタイ受難曲の楽譜

私のマタイ受難曲は カール・リヒターのミュンヘンバッハ管弦楽団のものです。
リヒターの曲はレコードでは1958年と1979年盤、2つあります。
私個人的には58年録音盤を好んで聴いています。フルトベングラーのレコード(ウイーンフィル)
エリオット・ガーデナー(CD)、ミッシェル・コルボ(CD)、5種類あります。
やはりおすすめはリヒターの58年盤です。
 
 

右の緑の表紙はマタイ受難曲のスコアー(280P)です。

ニューヨークに住んでいた30の頃 友人のジャズベーシストが
自宅に招いてくれて彼のベース(古いイタリア製)でバッハの無伴奏チェロ組曲を
行く度に聴かせてくれました。
レコードといえば、このリヒターのマタイ受難曲を聴かせてくれました。
・・・・
友人の案内で行った場所は、カーネギーホールの隣の楽譜専門店でした。
バッハのコーナーに案内、棚からこれをプレゼントすると、
その20ドルで買ったのがこのスコアブックです。もっとしたと思います。35ドルか・・・。
彼は、「レコードを聴きながらこのスコアに目を通せ、
       これは音楽の世界を案内するの地図だ、
       そのうちスコアだけでも楽しめるようになる。」
 
また彼は、「マタイ受難曲やバッハの多くの曲はジャズをやっている自分にとっては
バイブルみたいなもので、音楽の様々な要素が入っていて そのままでもジャズになる。
バッハは好きだ。と話していました。
 夜な夜なハーレムへ招いてくれた彼です。
 
 
 
80年代のハーレムでは治安が悪くカメラを持ち歩けなかったので
これだけ残っています。
 
クラブのドアは2重で、外側は鉄のドアで格子付きの覗き窓があり、
ドアをノックすると、まず格子の窓が開き客を確認します。
小さい覗き窓越しにじろじろ睨まれます。
不審者でないと思われると鉄のドアを開けてくれ次は、大柄な強面の黒人のお兄さんが
内ドアの前でボディチェック、
問題なければクラブの中に入れてくれるといった用心深さで・・・。
 
中に入れば、別世界で、みんなフレンドリィーで
話しかけられたり、ビールをおごってくれたり、
ジャズも楽しめました。
ミッドタウンやダウンタウンのジャズクラブとは
ひと味違ったジャズで、内輪で楽しんでいるといった雰囲気ででした。
 
 
 
当時ソーホーに住んでいた芸術家の篠原有司男さんでさえ
ハーレムは命がいくらあっても足りないので僕は行かない。
猛獣の檻の中へ入るようなものだ、
古川君はよくいけるな・・・と言ったぐらいで、
行ってみたいと興味を持った人はいましたが同行する勇気のある人は一人も現れませんでした。
  そのころ女性写真家の吉田るいこさんはハーレムに住んでいましたが・・・。
ハーレムは普通に普通の人々が暮らしている街でした。
もちろん子供も女性も老人も普通に・・。
ただ焼き崩れた不気味な建物も多いでした。
 

 
このフルトベングラーはプリンストンでO君が見つけて買ったものです。
 
$17.99のシールがまだあります。
今ではCDでもあると思いますが・・・。勿論モノラルです。
 

 

1979年録音盤 カールリヒター マタイ受難曲+ヨハネ受難曲  ※$19.99 (プリンストンで)
 
 
アンテックショップや古道具屋、ガレージセール、フリーマーケットなどで
中古レコードはよく見かけます。レコードを見かければ必ず手に取って、承諾を得たうえで
盤を引き出し確認する癖をつけていますが、
まず買ってもよさそうないい状態のものを見たことがありません。
フリーマーケットでは難しいです。ニューヨークの中古レコード専門店の看板を掲げている店でも信用できません。

真面目な店は全部中身をチェックしたうえでクリーニングをして
傷んだジャケットは補修、中袋がなければちゃんと補います。
レコードの価格は 人気や貴重と思われるもの、
コンデション(使用頻度まで専用のルーペで調べています)を考えて付けられています。
まず私のしっている限りそういう店はニュージャーシー州のプリンストンと
フィラデルフィアに一軒ありました。ニューヨークのような観光の街は期待できないです。

 一番は「Princeton Record exchange」Princeton 、NJ 08542 USA。
プリンストン大学の正門前(2ブロック離れて)です、